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最高裁判所第二小法廷 平成5年(オ)13号 判決

上告人

矢森翠

矢森智

福住優

野村忍

右四名訴訟代理人弁護士

山内良治

被上告人

土藏学

右訴訟代理人弁護士

谷田豊一

主文

原判決中上告人らの建物収去土地明渡請求及び平成二年三月二日以降月五〇万円の割合による金員の支払請求に関する部分を破棄する。

前項の部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

上告人らのその余の上告を却下する。

前項の部分に関する上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人山内良治の上告理由について

一  本件は、第一審判決添付物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)を被上告人に賃貸している上告人らが、賃料を月額一二万円に増額する旨の請求をした後に被上告人が支払い続けた賃料月額六万円は、被上告人が自ら相当と認める額ではなく、公租公課の額にも満たないものであるから、被上告人には賃料債務の不履行があり、これに基づき賃貸借契約が解除されたと主張して、被上告人に対し、同目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を収去して本件土地を明け渡し、右解除前の賃料及び解除から明渡し済みまでの賃料相当損害金を支払うことを求めるものである。

二  原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人らの父である矢森肇は、昭和四〇年ころ、その所有する本件土地を被上告人の父である土藏善助に賃貸し、同人は、本件土地上に本件建物を建築した。矢森肇が昭和四二年一〇月三一日に死亡したため、上告人らは、それぞれ本件土地の持分四分の一を相続により取得し、賃貸人の地位を承継した。その後、善助が死亡し、被上告人が本件建物の所有権を相続により取得し、賃借人の地位を承継した。

2  本件土地の賃料は、昭和五五年八月に月額六万円(年額七二万円)に増額されて以来据え置かれてきた。平成元年一一月一日現在の本件土地の公租公課の額は年額七四万一二四八円であり、賃料額を上回っていた。

3  上告人らは、平成元年一〇月一八日、被上告人に対し、本件土地の賃料を同年一一月一日以降月額一二万円に増額する旨の請求をした。

4  昭和五五年八月以降本件土地の地価が著しく高騰し、公租公課も増額されたから、平成元年一一月一日の時点において従前の賃料額は不相当になっており、当時の本件土地の適正な賃料の額は、月額一二万円である。

5  被上告人は、本件賃料増額請求の後も、賃料として月額六万円の支払を続けている。

6  上告人らは、平成二年二月二二日、被上告人に対し、一週間以内に増額賃料の支払がない場合には賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたが、被上告人は、右の期間内に催告に係る賃料の支払をしなかった。

三  原審は、右事実関係の下において、次のとおり判断して、上告人らの賃料支払請求を平成元年一一月一日から同二年三月一日まで月額六万円の割合による金員(合計二四万一九三五円)の支払を求める限度で認容し、上告人らのその余の請求をすべて棄却すべきものとした。

1  本件賃料増額請求は、全額につきその効力を生じたから、本件土地の賃料は、平成元年一一月一日以降月額一二万円に増額されたが、被上告人は、賃料として月額六万円を支払ったのみである。したがって、平成元年一一月一日から同二年三月一日まで月額一二万円の割合による賃料の支払を求める請求は、未払額に相当する月額六万円の限度で理由がある。

2  借地法一二条二項にいう「相当ト認ムル」とは賃借人において主観的に相当と認めるとの趣旨であると解するのが相当であるが、賃借人としては従前の賃料額を支払っている限り債務不履行責任を問われることはないとするのが右法条の趣旨であり、被上告人が従前の賃料額を支払う限り、主観的には相当と認める賃料を支払ったものとして債務不履行の責任を問われることはない。したがって、本件解除の意思表示は解除原因を欠き無効であるから、賃貸借契約が解除されたことを前提とする建物収去土地明渡請求及び平成二年三月二日以降の賃料相当損害金の支払請求は、いずれも理由がない。

四  しかしながら、原審の右三の2の判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。

1(一) 賃料増額請求につき当事者間に協議が調わず、賃借人が請求額に満たない額を賃料として支払う場合において、賃借人が従前の賃料額を主観的に相当と認めていないときには、従前の賃料額と同額を支払っても、借地法一二条二項にいう相当と認める地代又は借賃を支払ったことにはならないと解すべきである。

(二)  のみならず、右の場合において、賃借人が主観的に相当と認める額の支払をしたとしても、常に債務の本旨に従った履行をしたことになるわけではない。すなわち、賃借人の支払額が賃貸人の負担すべき目的物の公租公課の額を下回っていても、賃借人がこのことを知らなかったときには、公租公課の額を下回る額を支払ったという一事をもって債務の本旨に従った履行でなかったということはできないが、賃借人が自らの支払額が公租公課の額を下回ることを知っていたときには、賃借人が右の額を主観的に相当と認めていたとしても、特段の事情のない限り、債務の本旨に従った履行をしたということはできない。けだし、借地法一二条二項は、賃料増額の裁判の確定前には適正賃料の額が不分明であることから生じる危険から賃借人を免れさせるとともに、裁判確定後には不足額に年一割の利息を付して支払うべきものとして、当事者間の衡平を図った規定であるところ、有償の双務契約である賃貸借契約においては、特段の事情のない限り、公租公課の額を下回る額が賃料の額として相当でないことは明らかであるから、賃借人が自らの支払額が公租公課の額を下回ることを知っている場合にまで、その賃料の支払を債務の本旨に従った履行に当たるということはできないからである。

2  本件についてこれを見るに、上告人らは、原審において、被上告人はその支払額である月額六万円を主観的に相当とは認めていなかったと主張し、また、原審は、本件賃料増額請求に係る増額の始期である平成元年一一月一日現在の本件土地の公租公課の額は年額七四万一二四八円であり、被上告人はその額を下回る月額六万円(年額七二万円)の支払を続けた旨の事実を認定したのであるから、原審が、被上告人が自らの支払額を主観的に相当と認めていたか否か及びこれが公租公課の額を下回ることを知っていたか否かについての事実を確定することなく、被上告人は従前の賃料額を支払う限り債務不履行責任を問われることはないと判断した点には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。この趣旨をいう論旨は理由があり、原判決中建物収去土地明渡請求及び平成二年三月二日以降月五〇万円の割合による金員の支払請求を棄却した部分は破棄を免れない。そして、右部分については、被上告人が自らの支払額を主観的に相当と認めていたか否か、また、これが公租公課の額を下回ることを知っていたか否かについての審理を尽くさせる必要があるので(仮に被上告人に賃料債務の不履行があったとされる場合においても、右不履行について信頼関係を破壊すると認めるに足りない特段の事情があるときには解除の意思表示は効力を生じないと解されるから、この場合においては、右信頼関係の破壊の点についても審理を尽くさせる必要がある。)、原審に差し戻すこととする。

五  なお、上告人らは、原判決中賃料支払請求に係る部分について、上告理由を記載した書面を提出しない。

よって、民訴法四〇七条一項、三九九条ノ三、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官河合伸一 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官福田博)

上告代理人山内良治の上告理由

原判決には、次のとおり借地法一二条二項の法令解釈、適用の誤り、理由不備の各違法及び判例違背があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一、本件土地の公租公課の月額は、別紙のとおりで、平成元年度六一、七七三円、平成三年度七〇、四五八円であり、鑑定人が認めるところの年間管理費を加えた本件土地の平成元年度の月額必要経費は六五、三七三円であり、平成三年度の月額必要経費は七四、〇五八円になる。

これは、被上告人の支払う賃料月額六万円を越えていることは明らかである。

二、一方、鑑定人佐野幸人の鑑定によれば、平成元年一一月一日時点の継続賃料額は一八万三五〇〇円であり、平成二年三月二日時点及び平成三年三月二七日時点における新規賃料額はそれぞれ一三八万六五六〇円及び一四六万五八四〇円である。

つまり、本件土地を賃借するについての経済的価値は一三八万六五六〇円及び一四六万五八四〇円であるが、賃借人が以前より賃借していることを考慮して判断すれば一八万三五〇〇円になるというのである。

三、本件土地を賃借するについては第二項で述べた如き経済的価値があり、かつ、本件土地を賃貸するについて右第一項で述べた如き必要経費を支払わなければならないにもかかわらず、被上告人は賃料六万円を支払い続けているのみである。

被上告人支払の賃料六万円は、前述の事実よりすれば不相当であること明らかである。

四、控訴審は、上告人が増額請求した金額である一二万円が一か月の継続適正賃料である旨認定している。この点について、控訴審は「平成元年一一月一日時点における本件土地の賃料額としては、右権利金授受の事実を考慮に入れても、公租公課の増額率である54.4パーセントのほぼ二倍に当たる一〇〇パーセント従前賃料から増額した月額一二万円が相当であり、本件賃料額請求の意思表示は全額につきその効力を生じたものというべきである。

そうすると、被上告人は上告人らに対し、平成元年一一月一日以降一か月一二万円の割合による賃料を支払う義務を負うこととなったものというべき」旨を認定していることは正当である。

五、そして、控訴審は「被上告人の支払ってきた一か月六万円の賃料が客観的には相当なものでなかったことは明らかといわなければならない。」としながら、「右法条(借地法一二条二項)にいわゆる「相当ト認ムル」とは、客観的に相当であることを意味するものではなく、賃借人において主観的に相当と認めるとの趣旨であると解するのが相当である。」と判旨している。

確かに借地法第一二条二項は、賃料の増額請求がなされても、当事者間に協議が調わないときは、借地人は、増額を正当とする裁判が確定するに至るまでは、「相当と認める地代」を支払えばよいと規定している。そして、右にいわゆる「相当と認める地代」とは、客観的に適正額ではなく、原則として、「借地人が相当と認める地代」でよいと解されている。

六、しかしながら、いくら原則として「借地人が相当と認める地代」でよいといっても、その額がいくらでもよい、というわけではなく、その額が特段の事情もないのに従前の地代額よりも低い額であったり、適正地代額との差があまりにも大きいとき等には、債務の本旨に従った履行という評価をすることができず、背信行為ありとして契約解除の効力を認めるべき場合もあり得るものといわなければならない。(同旨、千葉地裁昭和六〇年(ワ)第三七九号建物収去土地明渡請求事件昭和六一年一〇月二七日判決。判例時報一二二八号一一〇頁)

七、本件においては、第一に被上告人は上告人の代理人弁護士山内良治を通じて、被上告人である谷田豊一弁護士に対して、公租公課の証明書を送付し、被上告人はそれを見ており、公租公課額より、地代の方が下回っていることを知っていた(土蔵学尋問調書第一〇〜一二項)のである。

第二に、被上告人の母親土蔵志げ、兄弟土蔵宏之・土蔵利充(甲第二二号証)が、取締役・監査役となっている同族会社加美工業株式会社(甲第一九号証)は、北区豊崎六丁目二番六の土地を所有し(甲第一八号証)ており、同社は同土地を甲第三号証の一・甲第一六号証・甲第一七号証のとおりモータープールにし、他人に賃貸している。そして、同土地は、本件紛争土地に接している土地であることは、甲第一七号証より明らかである。

そうすると被上告人は、本件紛争土地の公租公課額がいかほどに高額であるかということについては、十分に知っており、かつ、公道に面した場所であることから、駐車場として使用したとしても高額な収益をあげえる土地であることも知っていたものである。

第三に、さらに、本件土地の賃貸借について被上告人は従来より率直に賃料の増額に応じたことは一度もなく、最近二回の賃料増額についても、昭和五〇年の場合は公租公課の年額が二四万七八一七円、管理費相当額の年額が七二〇〇円、必要諸経費の合計額が二五万五〇一七円になったことから、従前の賃料月額一万六〇〇〇円、年額の一九万二〇〇〇円では公租公課にも足りないため、賃料の増額を請求したが、被上告人は全く応じず、上告人らが訴訟を起こし、やっと和解して年額二四万円になったのであるが、これとても公租公課の年額を下回っていたのである。このときの約束では今後少しづつ賃料の増額に応じるということであったが、被上告人は全く賃料増額に応ぜず、ついに、昭和五五年には公租公課の年額が四八万〇一二九円になり、管理費相当額の年額九八九〇円とを合計すると必要諸経費との年額の合計は四九万〇〇一九円となって賃料月額二万円、年額の二四万円の倍以上になった。上告人らは被上告人に対して、なおも賃料増額の請求を行なったが被上告人は依然として増額に応じなかったため、上告人らはやむなく再度、賃料増額の訴訟を起こし、昭和五七年一二月一七日に和解し、賃料を月額六万円、年額七二万円とすることに確定したのである。

しかるにその後、昭和六三年には公租公課の年額が七〇万六〇〇九円になり管理費等相当額の年額五万円と合計すると必要諸経費の年額が七五万六〇〇九円となり、賃料の年額である七二万円を超過してしまった。

そこで上告人らは被上告人に対して、公租公課の必要諸経費が賃料を上回っていることを明示し、賃料の増額を請求したのであるが被上告人は、全く増額に応じなかった。このような過去二回の賃料増額の経緯及び今回の二回にわたる催告に対しても全く増額に応じない被上告人の態度は明らかに常識を欠き信義を欠いたものであり、従前の賃料金額の支払だけでは、債務の本旨に従った賃料の支払とは到底言えない。

八、学説においても、「借主が内心正当とは思っていなかった低額を支払い続けた場合(その旨の立証はきわめて困難であるが)には、解除の認められることもある」(星野英一・借地借家法・法律学全集一二七頁)旨が有力に主張されている。

本件において、借主である被上告人は、支払賃料六万円が正当であると思っていなかったことは、土蔵学調書一三項、

このままで良いと思っているのですか。

思っていません。

ということよりして明らかであり、まさに右判例・学説においても、解除の認められる場合にあたるものである。

しかるに、控訴審は突如として「被上告人が従前の賃料額を支払うかぎり、主観的には相当と認める賃料を支払ったものとして債務不履行の責任を問われることはないものといわざるをえない。」旨判旨し、上告人を敗訴させている。

しかしながら、賃借人が従前の賃料額を支払うかぎり、常に主観的には相当と認める賃料となるということ自体が、一種の擬制であり、その理由が不備であるとともに、借地法一二条二項の文理解釈からしても誤っており、違法であるとともに第六項指摘の千葉地裁昭和六〇年(ウ)第三七九号建物収去土地明渡請求事件昭和六一年一〇月二七日判決にも反するものである。

本件のように、地代が公租公課を下回り、借主も地代が正当と思っていなかった場合においても、解除が認められないとすれば、公租公課上昇の被害はすべて、貸主側の犠牲において処理されることになり、あまつさえ安い地代で貸し、正当に活用すれば得べかりし高額の利益の損失を被っている地主がさらに、実損害までも被ることになるのであって、いくら公租公課の上昇が行政側の政策判断によるものであるとしても、このような事態は、賃貸借における正常な事態であるとはいいがたい。

被上告人は、一審が相当賃料は一か月一一万九一〇〇円であると認定し、さらに控訴審が、相当賃料は一か月一二万円である旨を認定してからでも、本日現在に至るまで一円の増額もしていないのである。

このような賃借人の態度が非常識、横暴、不誠実であるとして、賃貸借関係の信頼を破壊することは明らかである。

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